7.17『海のうた』読書会レポート📝
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こんにちは!詩歌担当より、第13回短歌の読書会の様子をご報告します🦀
今回は、海の日直前ということもあり、左右社のアンソロジー『海のうた』を読みました🌊以前、こちらの読書会では『雪のうた』も取り扱いましたが、シリーズの順番としては、一冊目が『海のうた』でした。
自己紹介の際には、みなさんの好きな海、思い出の海、行ってみたい海などを伺ったところ、とても個人的で素敵なお話がたくさん聞けて、実際に行ったことはなくても、人それぞれに海を持っているのだなと感慨深くなりました。
話題に上がった短歌をいくつかご紹介します↓
あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の/千種創一(P.31)
こちらの歌について、日常の言葉が短歌になっているというお話がありました。短歌は何度かブームが起きている印象があるが、以前は短歌の世界の中でより良いものを目指していくようなイメージだったのが、最近の作者の短歌を読むと「日常が短歌化している」という興味深い意見がありました。
蟹缶を自分のために開けてゐる海がこぼれぬやうにそおつと/門脇篤史(P.37)
海について詠まれた短歌を並べて読んだときに、海そのものを読んだものと、別のなにかを海に喩えたものに大きく分けられると思い、この歌は後者に当てはまります。場面としても、海の近くにいるわけではなく、家の中で買ってきた缶詰を開けているようです。旧仮名遣いで書かれていますが、そのおかげで読むスピードがゆっくりになり、こぼさないように慎重に動いていることが伝わってくるという視点もありました。
三年をみなとみらいに働いてときどき海を見るのも仕事/本多真弓(P.39)
仕事の休憩時間に海を見ているのか、実際に業務の一環として海を見る行為があるのか、「みなとみらい」という地名のイメージも相まって想像の膨らむ一首です。「三年」という期間も何十年も働く仕事人生から見ると短く、その三年のうち海を見るのは「ときどき」だという二重の短さが感じられるというお話もありました。「に働く」の「に」という助詞が不思議だという声もありましたが、個人的には「~で働く」というと一時的で手段のような感じがしますが、「に」を使うと「~に住む」、「~にいる」のようにもう少し長い状態で、気持ちがずっとそこにあるかのような印象になると思いました。
空調の音さざ波に変わりゆく寝不足の午後の図書館/戸田響子(P.48)
経験としてとても共感できるという意見が多かったです。寝不足ので本を読んだり勉強したりしている時に、空調の回る音が寄せては返す波のように大きく感じられ、心地よい眠りの海に包まれてしまう。これも「蟹缶を~」の歌と同様に、実際の海ではなく日常を海に変えてしまう短歌だと思いました。
海沿いにひるがえっているTシャツとただ吹くだけの風の一日/早坂類(P.66)
少し意外だったのですが、今回一番盛り上がり、話が広がったのはこちらの一首でした。ある方は白黒映画のワンシーンを思い起こし、ある方は絵画や小説のイメージが浮かんだとのこと。暗い作品であったり、明るい作品であったり、想起するものはまちまちでも、このTシャツが白色であるという点は意見が一致していました。情景としては、ほとんど一つの絵を読み手の頭に思い浮かばせるにもかかわらず、その場面をどのように解釈して見るかというところにとても広がりのある歌なのだと気づかされました。
果ての果て滅びゆく海のことならば波ではなくて砂に訊ねよ/牛隆佑(P.74)
こちらの歌については、見開きで並んでいる別の一首とともに言及していただきました。それは75ページの多賀盛剛の「いつか くる おわりを みないで すむように さかなは うみから でませんでした」という短歌です。たしかにこの二首は、意図的に隣同士に並べられていると思います。「果ての果て~」のほうでは、海が滅ぶとき砂は残っているような印象ですが、75ページの短歌では逆に、陸地のほうが先に滅ぶような感じがします。個人的に多賀盛剛『幸せな日々』という歌集が大好きなので、ついでに歌集のご紹介もしました。
今回は比較的少人数で、たいへん和やかな時間を過ごしました☺️最後にいつも表紙を並べた写真を撮っているのですが、また撮り忘れてしまいました;;もしまた忘れていたら、お気づきの方教えてください🙇
当店は、埼玉県朝霞市にある本屋CHIENOWA BASEです📚東武東上線「朝霞」駅より徒歩6分、池袋からは15分ほどで着きます🚃
次回8/21(金)は岡本真帆さん『水上バス浅草行き』の読書会を予定しております!お盆休み空けになりますが、みなさまのご来店をお待ちしております🚌